『ミスティック・リバー』

      2017/05/27

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満足度

 

96/100

重厚なヒューマンドラマを纏ったサスペンス、悲劇の傑作。

 

今作の見所

 

この世に救いはなく、しかし愛だけは存在する。

実にイーストウッドらしいテーマだ。

 

絶望に立つショーン・ペンも非常に絵になる。

深い人間ドラマは涙なしには観られない。

 

あらすじ

 

ジミー(ショーン・ペン)
デイブ(ティム・ロビンス)
ショーン(ケヴィン・ベーコン )

は、少年時代は仲が良かったが、デイブが誘拐事件に巻き込まれて以来、三人はなんとなく疎遠になってしまう。

その後、ジミーは不良の青年期を過ごし犯罪にも手を染めるが、若くして生まれた娘の存在と、恐らくは信仰心によって更生。

現在は雑貨屋を営むキリスト教保守主義者の3児の父である。
その波乱の人生を精神的に支えた最愛の娘が、何者かの凶弾に倒れ、突然帰らぬ人となる。

 

ショーンは刑事になっており、この事件の真相を追う。

 

デイブは、ジミーの娘が殺される晩に幸せそうに酒場ではしゃいでいるのを目撃。

悲報を受けてか過去の自分が巻き込まれた、事件のトラウマが蘇り、情緒不安定になっている。

 

信仰が見せる事態の宿命性

 

ジミーの人物描写として印象深いのは、18歳のとき妻になる女性に出会わなければ娘は殺されなかった、というような極端に遠い事柄に関係を見出す思考回路を持っているところだった。

単に娘が死んだことに悲嘆しているのではなく、娘が殺された事実の背景に、そうならざるを得なかった宿命を想定して絶望するような心情である。

 

普遍的な心情とも言える。

しかし、ここでは彼が敬虔なクリスチャンであり、現状を決定論的に解釈している、と取るほうが的確だと思う。

 

今作は演出において、現在が遠い過去から連綿と続く因果律の中にあるというこのような描写が、特に強く印象に残っているのだ。

 

デイブも過去の事件のトラウマに苛まれ、統合失調気味に判断のコントロールが効かなくなる。

何かをきっかけにしてスイッチを押されたかのように、意に反してまさに因果律に支配されるかのように豹変するのだ。

 

物語の相似としての神が創造した世界

 

ところで物語とは、作者が起承転結を生み出す以上、必ずや決定論的であらざるを得ない。

つまり物語の登場人物というのは、起承転結を描くために、作者の思い描く因果律に従って動くのであり、それが物語である限り、この力学を破壊することは原理的に不可能だ。

 

デイブはジミーの娘が殺された夜、血まみれで帰宅する。

デイブという登場人物は物語に、ジミーとショーン(そして鑑賞者)を惑わすミステリーを生産するために配置されている。
ショーンが刑事として登場するのは、物語がサスペンスとして体裁を保つよう、ストーリーテラーの役割を担うためだ。

ジミーの娘が死んだのは、物語の展開上、ジミーとショーンとの再会を導くためとも、ジミーの娘への愛を描くためとも言えるし、実際そうだろう。

 

全ての登場人物が懸命に働き、救いのない悲劇になるように仕組まれているのだ。

 

物語を決定論と認識すると、いかに無味乾燥な分析になってしまうことか、いかにもその全体が冷ややかなもののように思える。

そしてジミーの事件への解釈(つまりキリスト教保守主義における世界観に準じたもの)も、これと相似の関係にある。

人間の人生の背後に作者としての神を想定し、そのシナリオに絶望している。

信じることは救いをもたらさないのだ。

 

イーストウッドという男

 

しかしイーストウッドは物語ることをやめない男だ。

イーストウッドは人間を描き続ける。

 

過去に縛られるデイブの苦悩を、事件の解決のために最善を尽くすショーンの誇りを、そして最愛の娘を失ったジミーの痛みを。

 

彼は人間を信じることを止めようとしない。

それが悲劇にしかならない物語に過ぎないことに、明らかに自覚的でありながら。

 

それが物語である以上、作者はそれに対して全能であらざるを得ない。

しかしその構造を持ってなおも、物語の登場人物を、意思を持った一人の人間として描くこと人間への愛へと回帰することが、物語を輝かせる根源的なエネルギーなのだと言えるだろう。

 

この点において、今作はあまりにも傑出したエネルギーに満ちた映画なのである。

 

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