日本人なら観るべき!韓流傑作ホラー『哭声 コクソン』
2017/10/21

満足度
98/100
血塗られた怪作。
國村隼、そして子役のキム・ファニが本当にスゴイ!
日本人なら観るべき!と仰々しく銘打ったのには二つの理由があります。
第一は、単純に日本人の俳優である國村隼が非常に重要な役で怪演を魅せるからです。
(ちなみにこの映画は、小太りのみっともないおっさんが主役であり、家族連れやカップルを拒絶する残忍かつ極めて難解なストーリーでありながら、韓国国内で700万人動員の大ヒットを収めており、國村隼には韓国最大の映画祭で二冠の栄誉が与えられています。
韓国人は映画館に、デートでも家族サービスでもなく本当に映画を観に行っているのだな、とひしひしと感じます。ちょっと韓国という映画市場の狂気に近い豊かさは意味が分かりませんよね。現在の日本の”映画”をとりまく世界では絶対起きないような現象ですよ……。)
第二に、この韓国映画で描かれる日本人を、日本人として鑑賞する、ということが、ストーリーの中核に影響を与えているからです。つまり、この映画には韓国人と日本人のみに、特殊な意味合いが生じています。
それは政治的なメッセージであると同時に、深く哲学的な洞察にもなっています。
(やっぱりこんなややこしい映画が流行る韓国おかしい……。)
あらすじ
舞台は現代文明から取り残されたような山村。
素朴な風景に不釣り合いな惨殺事件が相次ぐ。
しかし加害者は皆すぐに捕らえられた。皮膚は爛れ瞳は濁り、まさに何かに取り憑かれたような姿で。
村の冴えない警察官ジョング(クァク・ドウォン)は連続する怪事件について、山奥に住む日本人(國村隼)の呪いが原因、という噂を耳にします。
彼も初めは疑いながらも、事件を捜査するにつれて次第に呪いの存在を確信し、日本人を追います。
日本人の家からは数多くの呪術的な置物と、過去の事件の容疑者の大量の写真と、彼の娘の名前が書かれた靴を見つけます。
連動するように、娘にも発疹が表れ、奇行も目立ち始め……。
そこから警察官ではなく父親としての、謎への奮闘が始まります。
怪事件の真相を握る4つの説
何度も観ることで深みが増す作品ですが、ここからの考察はネタバレになります。
大丈夫だという方だけ
↓
呪いは最悪の結末を導くこととなります。ジョング一家は皆殺しにされるのです。気が触れた娘によって……。
非常にショッキングな展開を迎えたこの怪事件の真相には4つの説が準備されています。
①日本人の呪術師が黒幕説
多くの村人がこの説を信じます。ジョングと行動を共にしたキリスト教助祭のイサムも最終的にこの説に傾倒しました。
日本人は確かに呪術的な能力を有していましたが、村人の噂の根拠は、単純に「彼が日本人だから」という偏見の水準を脱しません。
加えて、襲撃を受けたこの日本人は、迫害を受けた被差別者というような、痛みと恐怖と悲しみが混じった非常に人間的な表情をするのが印象的に映ると思います。
しかし……
②雇われた祈祷師が黒幕説
ジョングが、娘の呪いを解く為に雇った祈祷師が、実は糸を引いているかもしれません。
祈祷師は儀式によって念を送り、日本人に瀕死のダメージを与えます。ジョングは、弱った日本人を襲撃し殺めます。
しかしその後、ジョングの家を訪れようとした祈祷師の前に謎の女が現れ、超常的な力で彼をねじ伏せます。
祈祷師は
娘の元に行け 悪霊は女だ あの日本人ではない
と動転しながらジョングに電話で伝えます。
ところが、変わり果てた姿になったジョングの元を再び訪れた祈祷師は、落ち着いた様子でその惨状をカメラに撮り始めます。そして、同様の意図を持ったもの思われる大量の写真を彼が保持していることが明らかになります。
③謎の女が黒幕説
女は、祈祷師を追い払った後に、ジョングの前にも現れます。
祈祷師の話を聞き娘の元に戻ろうとするジョングを引きとめ
日本人と祈祷師がグルで娘を殺そうとしている、今家に帰れば家族全員が殺されてしまうから行ってはならない
と告げます。
しかし、その忠告を信じることが出来なかったジョングは、掴まれた手を振りほどき、自宅へ戻ってしまう。
そして最悪の結末を迎える。
止められなかった女は目に涙を浮かべ、うなだれる様子が描かれます。
④毒キノコによる幻覚が原因説
これは、科学検証とマスメディアの報道による怪事件の真相です。
そのキノコには強い幻覚作用があり、それによって村人たちは気が触れてしまったという説明です。
一般論としては、霊能力や超常現象によるものではない毒キノコ説が最も信憑性があり、悪霊自体もキノコによる幻覚だった、というオチもつけることが出来ます。
乱立するミスリードの誘発に消失する真実
では①②③④の、どの説が真実だったのでしょうか。
日本人が悪霊だったとするならば、しかし娘の狂気は悪霊の死後に本格化したことになります。呪いの質の描写がありませんが、不自然だといえるでしょう。
祈祷師が黒幕だとする場合、時系列的には娘の異変の後でないと祈祷師に登場する余地はありません。
したがって、なぜジョングの娘だったのか、何をきっかけに呪いに掛かったのか、というような描写がゴッソリとストーリーから抜け落ちています。
女は、日本人と祈祷師が手を組んでいると証言しています。確かにその二人が協力関係にあれば、娘の異変は日本人が担い、一家の惨殺は祈祷師が受け継ぐ、というようなシナリオを描くことが出来ます。
しかし、では日本人を瀕死に追いやったのは何だったのでしょうか。作中では祈祷師の儀式以外に描写がないのです。
つまりこれによって、日本人と祈祷師の関係は敵対的だと言わざるを得ないわけです。
女が悪霊だったならばどうでしょうか。
女の忠告を破ることによって、ジョングの一家は崩壊することになりました。
女はそれを非常に悲しそうに受け止めています。心情描写としては全く矛盾しており、筋が通りません。
最後に毒キノコですが、村人、特に娘が服用していたような描写がありませんし、これは物語として何が語りたいのか分からなくなってしまう興醒めのオチでしょう。
4つの説を総合的に考えていくと、どれも核心的な説明がなかったり、矛盾が見られたりと、どうにも辻褄が合いません。つまり真相は最後まで明かされることなく最悪の結末を迎えるのです。
そして、どの説も真実に足りえない、ということがこの映画の最大のテーマとなっているのです。
人間か幽霊か、神か悪魔か
この映画はルカによる福音書からの、以下の引用から始まります。
人々は恐れおののき、霊を見ているのだと思った
そこでイエスは言った
”なぜ心に疑いを持つのか。私の手や足を見よ まさに私だ
触れてみよ このとおり肉も骨もある”
ちょうどキリスト復活の一節ですね。この言葉は作品理解の重要な要素となります。
そして、この映画のキモはなんと言ってもラストシーンでの日本人の登場でしょう。
物語の終盤、キリスト教助祭のイサムが、十字架を見つめ思い悩んだ後に、足を運んだ洞穴の奥で、ジョングによって殺されたはずの日本人を見つけます。
日本人は生きていたのです。……いや、生きかえったのです。傷だらけの体になりながら。
イサムは詰問します。
お前は何者だ
──お前はどう思うんだ?
お前は悪魔だ
すると日本人はこう答えます。
お前はもう、私を悪魔だと確信した
私が何者か、私の口でいくら言ったところでお前の考えは変わらない
そして続けて
幽霊には肉と骨がないが、私には肉と骨がある
と言って手を見せる。
その手の平の真ん中には、杭で刺しぬいたような丸い穴が空いているのでした……。
作中冒頭のキリストの言葉を呟きながら、日本人はカメラでイサムを撮り始めます。
レンズから顔を上げた日本人の肌は黒く変色し、眼光は赤くぎらつき、まさに悪魔の様相へと変身しているのでした。
お分かりの通り、日本人はラストシーンで復活したキリストのメタファーとして登場します。
つまり、神に仕えるイサムにとって、まさに信仰の対象が目の前に現れたのです。
しかし、”疑いを持ったこと” ”確信を持ったこと” その両面において、目の前の神を悪魔としてしか見れなくなってしまった。そして神の実態も悪魔へと変容してしまった。
この日本人の変身は、”信じること”に対しての洞察として、非常に象徴的なシーンと言えるでしょう。
物語の真相を握るはずの四つの説は、いずれも真実にはなり得ないものでした。
しかし、イサムにとっては、日本人が悪魔だということが真実だと思えた。悪魔にしか見えなかった。
この物語に、誰が黒幕だったのかという真実を見出すためには、見てもいないことを妄想する、矛盾に目を瞑る、重要でないことを過剰に重視する、考えることをやめる、このような不誠実さを必要とします。
カメラというモチーフはその上手い比喩として機能しています。
写真に残す、という行為は真実を切り取ることと思われがちです。事実、写真こそがこの怪事件の最も決定的な証拠になっています。
しかし写真は、カメラのレンズという視点を通した一つの解釈に過ぎず、その他の角度から見える景色を削ぎ落としてしまうのです。
全ての認識は主観的な解釈に過ぎない。
多人数の主観を寄り合わせても客観的な真実には到達しない。
つまり客観的な真実などと言うものは存在しない。
ある考えが力を持った瞬間、真実だと確信された瞬間、それは独断と偏見に飲み込まれた瞬間である。
この映画は、あえて物語の整合性を丁寧に欠損させることで、逆説的にこの深く厳しいメッセージを浮き彫りにしているのです。
言ったって信じないだろ?
昨今、日本と韓国は、政治的不和の関係にあると言わざるを得ません。
しかしそれを背景にして、この言葉を日本人に語らせる韓国映画の批評性の高さには、目を見張るべきです。