『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』

      2017/06/23

スポンサードリンク

満足度

 

90/100

少女は寂しさを恋で埋め、少年は焦燥を刃に込める。
夭折の巨匠エドワード・ヤンの超大作、25年の時を超え、デジタルリマスターされて劇場上映。

台湾映画です。
アジア映画史において重要な作品と言われながら、様々な事情が重なり市販化されていない今作、この機を逃すわけにはいかないと、意気込んで鑑賞しました。

 

あらすじ

背景は1950年代後半から60年代にかけての台湾。
61年に実際に起きた、男子中学生によるガールフレンドの殺害事件を題材に、それが何故起きてしまったのかを綿密に描きます。

ショッキングな事件を扱ってはいるものの、作品の内容としては、当時の台湾の思春期を迎えた少年少女達が日常の中で何を感じ何を考えたのかに主軸があり、事件と全く関係のない静かで退屈な描写が永遠のように淡々と続く。

そしてその日常の背後に、大陸から台湾に移住してきた外相人の抱える焦燥感や閉塞感、経済的問題や政治的問題をも映し出しています。

 

映画の可能性について考えさせられる

 

劇場で4時間休憩なし。尚且つ眠たくなるほどストーリーに起伏がなく、かなり苦痛を伴う鑑賞でした。しかし数日経ってあの映画について考えてみると、傑作としか言いようがない気がします。

 

映画を鑑賞するときに何を基準にしてその価値を判断するか。

僕は映画を「味わう」ときに、ざっくりとポップカルトという二つの雰囲気の軸に当てはめて観ます。

ポップは、特別な予備知識を必要とせず、広く関心を抱かれる魅力を指します。
カルトは、作家の個人性・特殊性に寄り、鑑賞者に適合、或いは許容を要求する在り方で見出される魅力を指します。

「味わう」ということで喩えると、ポップは飲料水のようにスッと入り、カルトは固形食品で咀嚼を必要とするようなイメージですね。

日常の溜飲を下げる役割として優れたポップな映画というのは沢山ありますし、特別好みでいつまででも噛み締めていたいカルトな映画というのも勿論あります。

しかし映画そのものの出来とは、どれだけ濃密なものをどれだけ滑らかに飲み込ませたかで測られるのではないかと思います。
つまり、カルトとポップが程よいバランスを保ち、特殊性が普遍的になる瞬間、それが傑作と思われるのではないでしょうか。
この映画は、大陸から移住してきた外相人の家族の生活と、中学生の少年少女達の集団、今作はこの二つのレイアーで展開されます。
「中国共産党に無念の敗北を喫し、退いた先の台湾で慎ましく暮らしを根付かせるも、大陸への未練を捨てきれずにいる、50年代末の外相人達の失望と焦燥」
時代と場所と境遇があまりにも狭く限定され、部外者は到底飲み込めそうもないカルトなテーマを持った映画です。

 

しかし、思春期の希望と恋の物語の側面もあります。
その危うく儚い青春の激情は、誰しもが共感可能なポップさを持ちます。ただ、それはあの時の台湾という土地での出来事だった。

 

監督のエドワード・ヤンも、49年に家族と共に大陸から台湾へ移り住み、映画とほぼ同じ時代に青春期を送ったようです。つまり今作は、まさに彼自身の生きた時代と境遇についての描写でもあるのです。
僕たちにとって単に歴史的記述に過ぎない出来事を、個人的な体験として生き、それを作品に投影させた。

個人的にこの手応えは、エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』から感じたものに近いです。
アンダーグラウンド 2枚組 [DVD]
崩壊するユーゴスラビアをユーモラスな演出で描きながら、ユーゴスラビア人であり映画監督である、という自身のアイデンティティが強烈に機能し、フィクションであるはずのストーリーの全体が、自叙性を帯び始めるという特殊な在り方。

それは映像やストーリーの完成度という小手先の話ではありません。
ユーゴスラビアという国が確かにそこにあり、クストリッツァという人間が確かにそこに生きていた証として、鑑賞者の心を揺さぶるのです。

今作も映画そのものを超えて響いてくるエドワード・ヤンという人間の実存と、あの時代の台湾が帯びた空気に圧倒される。

この映画は「彼ら」の青春が媒介となって、台湾の持っている強烈な特殊性を観る者に流し込むわけです。

 

時間が作り出す作品の強度

 

上映時間の規格外の長さも重要なポイントです。

娯楽性の極めて薄い4時間にわたる鑑賞体験は、映画を「観る」というより、劇場で「過ごす」という感覚に近い。
それは当然に集中力の限界によるものです。
しかし、この映画は確実に「過ごす」ことを前提として設計されているように思うんですね。

4時間という時間をかけて「観る」、いやその時間によって鑑賞者も、「彼ら」が生きた台湾の日常を「過ごす」ことになります。

その体験は、単なる歴史上の記述や作品内の演出であったはずのものに、血を通わせ体温と痛みを芽生えさせるのです。

味わい得るはずのないものを味わわせる。じっくり4時間かけて消化させる。

その意味で、この映画は傑作としか言いようのないように思います。

 -  映画